発表会や技術討論会では、限られた時間に内容をできるだけ具体的に伝えたいということから、「サクラ質問」は昔から有効な手段とされ、活用されていました。これらは、大道での販売で衝動買いを誘う「サクラ」とは異質であり、ましてや、テレビ番組の虚構である「やらせ」とは、真実の仮想が目的ではなく、事実の伝達努力という面から見ても、似て非なるものです。 しかしながら、メディアは、己が「やらせ」の権化であることを忘れ、不正と正義とを区別せず、「メディアが行うやらせ」と同質扱いすることで、他をおとしめる魔女狩りを始めました。世論を操作するのはメディアの特権だとばかりに。 中部電力は、原子力安全・保安院からの動員要請に、コンブライアンス面から協力しなかったと説明していますが、技術内容をどれだけ掘り下げ、事実を正当に伝える機会として活用する努力をしたとも思えず、そのコンプライアンス判断にも疑義があります。電力不足による国力低下への影響を斟酌することなく、自社の短期の利益だけを考えて、命ぜられるままに浜岡原発を停止を決めた、この体質を考えても、中部電力には電力供給の責任会社としての当事者能力に大いなる疑問が残ります。 保安院は、安全を確保する立場ですが、プルサーマル導入を抑止する立場では無い筈です。導入の是非を論じる場を活性化させるために、賛成意見や多様な質問を要請することが、如何して不正・悪なのでしょうか? 事実を知らしめる努力、世論形成の努力が悪であれば、不作為による無知の蔓延は正義ということになってしまいます。 原子力安全・保安院が、安全を確保させる機能が十分働いたと言えませんが、菅政権がいう原発を規制するための組織という短絡的な捉え方をメディアが蔓延させ、廃止を言い出す政党まで出る始末は笑えません。 議論の結果の反対意見や払拭すべき不安要因を明確にして、安全性、保安基準の問題を探ることが重要なのです。安全性に関する議論内容の隠蔽や偽装の有無、残存問題の有無が重要なのに、メデイアは知らぬふりです。負のリスクは何にでもあり、危険性・負のリスクを部分的に取り上げて煽るメディアに、公正・中立の立場や世論誘導を論じる資格があるとは思えません。世論作りへの取り組みが悪だとすれば、メディアを悪の権化と呼ばなければなりません。 エネルギー問題は、将来を見据えて、技術面、運用面、経済面から、冷静・中立に、偏見を捨てて議論を尽くすべきなのです。化石燃料だけに頼ることは出来ないのですから。 メディア、ジャーナリストの低俗性がこの国を亡ぼすと思われてなりません。 |