この悲惨な事故、様々な不作為による人災も、既に起きてしまった以上、チャンスに変えなければならないと思うべきなのです。放射能に汚染された環境、欲しいと想っても得がたい環境が既にそこにあります。これを嘆いていても、ピンチのままなのです。 溺れるものは藁をも掴む。だから、溺れている人に藁を投げるような行為は厳に慎むべきなのです。 脱原発、再生可能エネルギーの利用拡大を強く訴えるのは、ピンチに陥った当事者ではなく、当事者の弱り目を機会として利用しようとする、便乗型の活動に過ぎません。原子力からヒステリックに逃げ出しても、状況は改善されないでしょう。 事故前には、このような環境は無かったし、作ろうと思っても作れなかったでしょう。ならば、事故の再発防止のための方策を追及をするとともに、この汚染環境が無ければなし得ない調査、実験を総力を上げて行うべきなのです。このような観点からの為すべき取り組みからみれば、この変化は正に、千歳一隅のチャンスと言えるでしょう。 除染技術、測定技術、防護技術、電子技術、ロボット技術など、この悲劇の変化をチャンスにすることができる取り組みは少なくない筈です。 もし、そこが20年は暮らせないとするならば、20年間自由に利用できる空間がそこに出現すると捉えなおすこともできるのです。この新たな状況を効果的に活用するための仕組みを構築し、そこから得られる成果を被災者に還元すること、この関係者間の橋渡しを行政や東電などの責任機関が為さなければいけないのです。そして、メディアは、このような活動を監視し、不作為報道をすべきなのです。 捉え方の切り替え、その変化を積極的に活用することを考えることだけが、ピンチをチャンスに変える方法なのですから。 |